プロフ(Proff)
  • PDFダウンロード

プロフィール

2019/08/17
プロフィール画像
user iconuser icon
フルネーム

松坂大輔

肩書

プロ野球選手

生年月日
1980
9
13
性別
男
現住所
〒〇〇〇-〇〇〇〇 東京都〇〇区〇〇
電話番号
000-0000-0000
メールアドレス
support@proff.io

自己紹介

内容

・趣味...音楽観賞 カラオケ 写真 ゴルフ 釣り

・好物…いくら丼。焼肉。レバ刺し。鶏の唐揚げ。鶏皮。キンキの塩焼き。かにみそ。明太子。きのこ類。マンゴー。プリン。甘いもの。和食。

・嫌いな食べ物…酢豚。セロリ。パセリ。チンゲンサイ。

・酒は飲めず、タバコが嫌い。

・花粉症。

・太りやすい体質。

・家が大好き。練習が終わるとすぐに帰る。

・妻と一緒にスーパーで買物をするのが好き。

・英語の修得の為に妻との会話を日本語禁止にした(渡米当初)。

学歴

組織

江東区立南陽小学校

開始年月日
1987
4
終了年月日
1993
3
説明

5歳から小学3年生までは、地元東京都江東区の福住剣友会で剣道に打ち込む。

小学3年生で江東区の東陽フェニックスに入部し野球を始める。

組織

江東区立南陽中学校

開始年月日
1993
4
終了年月日
1996
4
説明

中学時代は江戸川区の江戸川南リーグに所属する。

組織

横浜高校

開始年月日
1996
4
終了年月日
1999
3
説明

横浜高校時代は練習嫌いであったが、2年生時の夏の神奈川大会準決勝において自身の暴投によるサヨナラ負けを喫して以降奮起して猛練習した。

3年生時に150km/h超の球速を出し、切れ味鋭いスライダーを武器に超高校級の投手として「平成の怪物」として注目を浴びた。

1998年の第70回選抜高等学校野球大会:優勝

第80回全国高等学校野球選手権大会:優勝

第80回全国高等学校野球選手権大会の決勝では59年ぶり史上2人目となる決勝戦でのノーヒットノーランを達成。

1997年秋季県大会ブロック予選から翌年かながわ・ゆめ国体決勝まで、公式戦44連勝を記録。

第3回AAAアジア野球選手権大会:優勝

1998年度新人選手選択会議:西武ライオンズが交渉権を獲得

ドラフト直後の会見では「自分の意中の球団は横浜ベイスターズでした」と語っていたが、西武へ入団した。背番号は18。

職歴

組織

西武ライオンズ

開始年月日
1999
終了年月日
2006
説明

1999年4月7日:初先発

1999年7月24日:行われたオールスターゲーム第1戦に先発して3回を投げ、高卒新人としては史上最多となる5奪三振を記録。この試合の優秀選手賞を受賞し、オールスター新人賞も受賞した。

1999年7月:月間MVPを受賞。18歳10カ月での受賞は、2015年8月に高橋光成が18歳6カ月で受賞するまで最年少記録だった。

1999年の獲得タイトル:最終的に16勝を挙げて最多勝を獲得。ゴールデングラブ賞、高卒新人としては史上初となるベストナインを受賞。高卒新人の投手としては、33年ぶりとなる新人王に輝いた。

2000年8月:時速50kmオーバーのスピード違反で一発で免許停止

2000年9月13日:駐車違反を犯す。球団側は松坂を無期限の自宅謹慎処分としたものの、謹慎処分は1か月足らずで解除された。

2000年8月:シドニーオリンピック野球日本代表に選ばれる

2000年9月17日:シドニーオリンピック アメリカ合衆国戦に先発。10回2失点の好投を披露するも、チームは延長13回サヨナラ負け。

2000年9月23日:シドニーオリンピック 韓国戦では、延長の末に敗れる

2000年9月27日:韓国との3位決定戦でも敗戦し、日本は五輪野球で初めてメダルを逃す結果となった。

2000年の獲得タイトル:14勝を挙げ2年連続の最多勝と自身初の最多奪三振に輝いた。ベストナインとゴールデングラブも受賞した。

2001年の獲得タイトル:15勝15敗の成績で、3年連続最多勝を獲得。新人からの3年連続最多勝は高卒新人では史上初。さらに最多奪三振も獲得し、ベストナインとゴールデングラブも受賞。21世紀初の沢村賞を受賞。

2002年:開幕6連勝という順調なスタートを切ったが、5月に右ひじを痛め、何

20003年11月6日:アテネオリンピックの野球アジア予選 チャイニーズタイペイ戦に先発し、7回無失点の好投で勝利。五輪出場の条件である2位以内をほぼ決定づけ、大会の最優秀投手にも選ばれた。

2003年の獲得タイトル:自己最多タイの16勝を挙げ、最多奪三振と、自身初めて最優秀防御率のタイトルも獲得。ゴールデングラブも受賞した。

2004年7月10日:オールスターゲーム第1戦で2番手として登板し、2イニングを無安打無失点で4奪三振という好投を披露し、自己最速タイとなる156km/hも記録した。この試合のMVPに輝いた。

2004年8月17日:アテネオリンピック キューバ戦に先発し、五輪での初勝利を手にした。

2004年8月24日:準決勝・オーストラリア戦では、0-1で惜敗して金メダルの夢はついえた。チームは翌日、カナダとの3位決定戦に勝利したため、松坂は銅メダリストとなった。

2004年獲得タイトル:最優秀防御率のタイトルを獲得し、ゴールデングラブも受賞した。

2005年獲得タイトル:最多奪三振を獲得し、ゴールデングラブも受賞した。

2005年オフ:スコット・ボラスを代理人としポスティングシステムでのメジャー挑戦を訴えたが、球団は制度の行使を否認した。12月には第1子が誕生した。

2006年3月4日:WBC チャイニーズタイペイ戦では4回1失点で勝利。

2006年3月14日:WBC メキシコ戦では5回無失点で勝利。

2006年3月20日:WBC キューバとの決勝戦では4回1失点に抑え、勝利。結果的に、大会最多となる3勝、防御率1.38という成績が高く評価され、大会の最優秀選手(MVP)に選ばれた。

2006年獲得タイトル:ゴールデングラブを受賞している。

2006年オフ:ポスティングシステムの行使が容認される。ニューヨーク・メッツやニューヨーク・ヤンキース、テキサス・レンジャーズも入札に参加したことが報じられた。

組織

ボストン・レッドソックス

開始年月日
2007
終了年月日
2012
説明

2006年11月15日:ボストン・レッドソックスが5111万1111ドル11セント(当時のレートで約60億1000万円)で独占交渉権を獲得したことが発表される。

2006年12月14日:ボストン・レッドソックスと総額5200万ドルの6年契約を結ぶ。

2007年4月5日:カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャー初先発し、7回を6安打1失点10奪三振の好投でメジャー初勝利を挙げる。

2007年5月:第3週のリーグ週間MVPを受賞。

2007年7月3日:タンパベイ・デビルレイズ戦で10勝目に到達。

2007年9月28日:ミネソタ・ツインズ戦で日本人選手史上初・メジャー史上5人目となるメジャー1年目での15勝と200奪三振に到達し、チームも12年ぶりの地区優勝を決めた。

2007年:ワールドシリーズ優勝を果たした。新人王投票では4位に入る。

2007年シーズン通算:リーグ10位の15勝、同6位の201奪三振を記録したが、与四球率はリーグワースト6位、1試合の平均球数はメジャー最多の108.8球だった。

2008年シーズン開幕前に第2子が誕生。

2008年5月27日:右肩回旋筋腱板の張りを訴え故障者リスト入り。

2008年6月21日:復帰し、前半戦は10勝1敗、防御率2.65、WHIP1.38を残したが、オールスター初選出は逃す。

2008年:チームも2年連続でのポストシーズン進出を果たしたが、第7戦で敗れてリーグ優勝を逃した。

2008年シーズン通算:与四球率5.05はリーグワーストながら、被打率はリーグ1位の.211、被OPSはリーグ3位の.645。

2008年オフ:MLB公式ホームページで行われた最優秀先発投手賞のファン投票で4位に入った。12月には1998年度の横浜高校のメンバー対松坂世代のチャリティーマッチに参加。

2009年:2009 ワールド・ベースボール・クラシックでは優勝し、最多勝の松坂が2大会連続で最優秀選手に選ばれた。

2009年4月15日に故障者リスト入りする。

20009年6月2日:復帰後はデトロイト・タイガース戦で初勝利を挙げる。

2009年6月21日:再び故障者リスト入りする。

2009年9月:復帰

2009年:チームは3年連続でのポストシーズンに進出したが、チームはエンゼルスとのディビジョンシリーズで敗退した。

2009年シーズン通算:4勝6敗、防御率5.76、WHIP1.87とプロ入り以降もっとも悪い成績に終わった。

2010年開幕:故障者リスト入りして迎える。なお、その間の3月18日には第3子が誕生。

2010年5月1日:ボルチモア・オリオールズ戦で復帰。

2010年6月7日:インディアンス戦で、日本プロ野球2リーグ制以降最速となるNPB/MLB通算150勝を達成。

2010年6月12日:右前腕部の張りを訴えて再度故障者リスト入りする。

2010年6月24日:ロッキーズ戦で復帰し、5回を5安打2失点6奪三振の投球を見せ、打席でもメジャー公式戦初打点を記録するが、白星はつかなかった。

2011年スプリングトレーニング:東日本大震災を受けて岡島秀樹、田澤純一、正田樹と共に義援金を募った他、100万ドルを寄付した。

2011年:5月17日に故障者リスト入り

2011年6月10日:トミー・ジョン手術を受けた。

2012年6月9日:ワシントン・ナショナルズ戦でメジャー復帰。

2012年7月3日:右僧帽筋を痛め故障者リスト入り。

2012年8月27日:復帰し、その日のロイヤルズ戦に先発。

2012年10月29日:FAとなる

組織

ニューヨーク・メッツ

開始年月日
2013
終了年月日
2014
説明

2013年8月22日:ニューヨーク・メッツとメジャー契約を結んだ。背番号は16。

2013年9月15日:マイアミ・マーリンズ戦で、7回2安打1失点の投球で移籍後初勝利

2013年9月:スコット・ボラスとの契約を解除しSFX社と代理人契約を結ぶ。

2013年10月31日:FAとなった。

2014年1月24日:メッツとマイナー契約で再契約し、招待選手として参加したスプリングトレーニングでは6試合の登板で23回2/3を投げ、防御率3.04、WHIP1.27の成績を残す。

2014年3月25日:メッツが10万ドルを支払いマイナー契約を延長し、31日にAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ異動した。

2014年4月16日:メッツとメジャー契約を結んだ。

2014年4月20日:ブレーブス戦で、NPB/MLB通算2000奪三振に到達する。

2014年6月から先発ローテーションに入る。

2014年7月12日のマーリンズ戦では自己最多タイの10奪三振の投球を見せる。

2014年7月25日には右肘の炎症で15日間の故障者リスト入り。

2014年8月28日に復帰し、肘の消炎剤注射を受けながらリリーフとして起用される

2014年シーズン通算:最終的には先発としては9試合の登板で2勝3敗、防御率4.24、WHIP1.35。リリーフとしては25試合の登板で1勝0敗1セーブ、防御率3.44、WHIP1.34だった。

シーズン終了後FAとなる。

組織

福岡ソフトバンクホークス

開始年月日
2015
終了年月日
2017
説明

2014年12月4日:3年12億円の大型契約で福岡ソフトバンクホークス入団が発表された。

2015年3月17日:オープン戦登板後、右肩の筋肉の疲労などで離脱

2015年8月18日:内視鏡下による「右肩関節唇及び腱板クリーニング術」「ベネット骨棘切除術」「後方関節包解離術」を受けた。

2016年10月2日:シーズン最終戦となった楽天戦がソフトバンク時代唯一の公式戦登板となった。

2017年4月15日:オリックス戦で初先発の予定だったが右肩の異変で急遽回避。

2017年11月5日:ソフトバンクを退団することが発表された。

組織

中日ドラゴンズ

開始年月日
2018
説明

2018年1月23日:ナゴヤ球場の屋内練習場で完全非公開でのテストが行われ、即日合格した。

2018年4月5日:対読売ジャイアンツ戦で先発登板を果たしが、敗戦。

2018年4月30日:対横浜DeNAベイスターズ戦でシーズン3度目の先発登板、6回を8四死球ながらも被安打3と要所を締めて押し出し四球の1失点に抑え、勝利。

松坂屋の「マツザカヤ ドラゴンズを優勝させる会」から、移籍後初勝利を記念して「平成の書」の純金製小判(重さ30g 30万円相当)を贈呈された。小判には「祝 初勝利 松坂大輔様」などと刻印されている。

 オールスターゲームのファン投票ではセの先発投手部門で2位に約15万票差をつけ1位で選出され、12年ぶりのオールスター出場となった。

2018年7月13日:2イニングの予定で先発登板したオールスターゲーム第1戦では1回5失点(被本塁打2)で降板した。

ソフトバンク時代では3シーズンで1試合しか登板できなかったが、中日に移籍後6勝4敗で復活をアピール。カムバック賞を受賞した。

シーズン終了後の契約更改で6500万増の8000万円で一発サイン。鈴木翔太と背番号を交換する形で背番号を18に変更した。

受賞歴

内容
  • 最多勝利:3回 (1999年 - 2001年)
  • 最優秀防御率:2回 (2003年、2004年)
  • 最多奪三振:4回 (2000年、2001年、2003年、2005年)
  • 沢村栄治賞:1回 (2001年)
  • 新人王 (1999年)
  • ベストナイン:3回 (投手部門:1999年 - 2001年
  • ゴールデングラブ賞:7回 (投手部門:1999年 - 2001年、2003年 - 2006年)
  • JA全農Go・Go賞:3回 (最多奪三振賞:2003年5月、2005年5月、2006年5月)
  • オールスターゲームMVP:1回 (2004年第1戦)
  • パ・リーグ特別表彰:1回 (2000年)
  • カムバック賞:1回 (2018年)
  • Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(英語版) 
  • WBC最優秀選手:2回 (2006年、2009年)
  • 日本プロスポーツ大賞:1回 (1999年)
  • 殊勲賞:1回 (2007年)
  • 40周年特別賞 マルハン杯 (2007年)
  • 報知プロスポーツ大賞:1回 (1999年)
  • 毎日スポーツ人賞 ファン賞:1回 (1999年)
  • 毎日スポーツ人賞 国際賞:1回 (2007年)
  • ナンバーMVP賞:1回 (1999年)
  • 彩の国スポーツ功労賞:2回 (2000年、2004年) 
  • 所沢市特別顕彰:2回 (2004年、2006年)
  • 速玉賞 (2007年)

CM

内容
  • キリンビバレッジ「Speed」
  • 全日本空輸
  • 日立製作所
  • カシオ計算機
  • ミズノ
  • トヨタ トビラを開けようキャンペーン VSC篇 
  • アサヒビール アサヒスーパードライ
  • 松坂大輔メジャーリーグへの挑戦篇 
  • 松坂大輔豪速球篇 
  • コカ・コーラ アクエリアス ドライレイク篇 
  • ナイキ
  • 興和 バンテリンコーワ 「おれのバンテリン。」編
  • サントリー「伊右衛門」

関連書籍

SNS

リンク名

Twitter

URL
https://twitter.com/matsu_dice
matsu_dice
Proffで簡単に履歴書やポートフォリオをつくりませんか?
無料でつくる

Created with

スマート履歴書Proff(プロフ)