1986年、神奈川県生まれ。お笑いコンビ・マヂカルラブリーのボケ担当。相方は村上。大学卒業を機に相方を探していた村上が石橋哲也(カオポイント)に相談したところ野田を紹介された。もともと野田のファンであった村上は野田のライブの出待ちをしに行き、そのままコンビ結成に至った。コンビ名を「マジカル」ではなく「マヂカル」とした理由は「ネットで検索した時に上位に来る」ことを期待したため。マヂカルラブリー以前にいくつかのコンビを経ているが、セールスコント時代はショートコント、役満時代は漫才、アンビシャス時代はコント、その後ピン活動となり、さまざまなスタイルの芸種を行っていた。独学でゲームプログラミングを習得し、自作ゲームを開発している。製作したゲームは「野田ゲー」と称されている。
プロフィール
マヂカルラブリー 野田クリスタルさんの経歴
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略歴
コンビ結成まで
横浜市立六つ川小学校
横浜市立六ツ川中学校
神奈川県立六ツ川高校(現横浜国際高校)
高校在学中の15歳の時に同級生と「セールスコント」というお笑いコンビを結成し、「学校へ行こう!」の「お笑いインターハイ」で優勝するなどの戦績をあげた。その後インターネットの相方募集掲示板で知り合った相方と「役満」を結成し、2004年の「M-1グランプリ」に3回戦まで進出。16歳にして東京吉本の所属となる。
ピン芸人としての活動
2005年9月に相方の「先生になりたい」という一言で役満を解散。再び「アンビシャス」というコンビを組み活動するが、結成から2ヵ月後の初舞台の日に相方が失踪し解散。アンビシャス解散からマヂカルラブリーを結成するまではピン芸人で活動していた。当時は、オールバックにブリーフという出で立ちだった。
「マヂカルラブリー」結成
大学卒業を機に相方を探していた村上が石橋哲也(カオポイント)に相談したところ野田を紹介された。もともと野田のファンであった村上は野田のライブの出待ちをしに行き、そのままコンビ結成に至った。結成後は「LIVE疾風迅雷」などのインディーズ・ライブで毎回のように優勝を収める好成績を残し、吉本興業に所属する。
コンビ結成後の経歴
「Mー1グランプリ」2017 決勝進出
初の決勝進出を果たしたが、決勝進出したコンビの中で唯一審査員全員から80点台をつけられ、最下位に終わった。更に審査員の上沼恵美子からは「一生懸命やってるのは分かるけど好みじゃない」「よう決勝残ったなと思って」と酷評された。2020年、2度目の決勝進出を果たす。
「キングオブコント」2018 決勝進出
5度目の出場で初の決勝進出。結果は7位。
「R-1ぐらんぷり」2020 優勝
得意のゲームを取り入れたネタで、決勝初進出での優勝となり、これにより、M-1グランプリ、キングオブコント、R-1ぐらんぷりの3大会全てで、ファイナリスト経験者となった。
芸風
主に漫才。つかみとして村上が普通に自己紹介をする声に重ねて野田が全く違うセリフ(「村上殺しです」「僕です」「その残像です」「でっかいエビです」「漫才王です」「魅惑のなにかです」などの他、単に「野田です」と言う場合もあるなどさまざまなバリエーションがある)を言う。ネタの初めに野田がシチュエーションを提案し、それを二人で行う。昔は漫才の頭のコントに入る際に野田の意味不明なフレーズ(村上の体型や衣装をいじるものが多い)でコントに入っていた。それに対し村上のツッコミが入ることはほぼない。野田の動きが多いシュールなボケに対して村上が説明するようなツッコミをするという一人コント漫才が多い。野田によると、ネタ中の特徴的な動きは、インディーズ時代に舞台が狭かったため、狭いスペースでダイナミックさを出すために作られたという。コントを行うことは稀であったが、キングオブコントにはたびたびエントリーしている。村上が「眼鏡を取ると渡辺徹に似ている」と称しているため、そのことを活かしたコントなどがある。