江戸時代末期に武蔵国(現在の埼玉県)の富裕な農家に生まれる。一橋慶喜(後の江戸幕府15代将軍・徳川慶喜)に仕え、幕臣としてパリ万国博に派遣される。明治維新後は民部省に勤めて貨幣や銀行の制度の調査立案を手がけた。退官したのち、第一国立銀行(現みずほ銀行)、王子製紙、東京海上保険(現東京海上日動火災保険)をはじめ約500社の設立にかかわり、「日本の資本主義の父」と呼ばれる。慈善事業や国際交流にも取り組み、身寄りのない子供らを育てる養育院の院長も務めた。2024年には1万円札の顔になることが決定。
プロフィール
2020/01/14
プロフィール画像


フルネーム
渋沢栄一の経歴
肩書
武士、官僚、実業家
生年月日
1840
3
16
性別
男
現住所
〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目1
電話番号
000-0000-0000
メールアドレス
support@proff.io
略歴
内容
年表(豪農)
組織
天保11年(0歳)
開始年月日
1840
説明
武蔵國の豪農の長男として生まれる(幼名、栄二郎)
組織
安政1年(14歳)
開始年月日
1854
説明
家業の畑作、養蚕、藍問屋業に精を尽くす。
組織
安政5年(18歳)
開始年月日
1858
説明
従妹のちよ(尾高惇忠の妹)と結婚。
組織
文久3年(23歳)
開始年月日
1863
説明
高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都へ逃げ行方をくらます。
年表(幕臣)
組織
元治1年(24歳)
開始年月日
1864
説明
一橋慶喜に仕える。
組織
慶応2年(26歳)
開始年月日
1866
説明
徳川慶喜が征夷大将軍となり、 栄一は幕臣となる。
組織
慶応3年(27歳)
開始年月日
1867
説明
パリ万博使節団としてフランスへ渡る。
組織
明治1年(28歳)
開始年月日
1868
説明
明治維新によりフランスより帰国、徳川家とともに静岡へ移る。
年表(官僚)
組織
明治2年(29歳)
開始年月日
1869
説明
静岡で日本で初めての株式会社といわれる「商法会所」を設立。(銀行と商社を兼ねたような組織)
これが明治政府の目に留まり、大蔵省へ入省。民部省租税正となる。
組織
明治6年(33歳)
開始年月日
1873
説明
財政制度や貨幣制度の導入など、新しい国を作るために尽力するも、軍の予算削減が認められなかったことがきっかけとなり、大蔵省を辞める。
年表(実業家)
組織
明治8年(35歳)
開始年月日
1875
説明
官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(現:みずほ銀行)頭取に就任。その後、他にも多種多様な企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。
設立に関わった企業(一部抜粋)
年表(社会活動)
組織
明治8年(35歳)
開始年月日
1875
説明
商法講習所(現:一橋大学)創立。
組織
明治20年(47歳)
開始年月日
1887
説明
男尊女卑の影響が残っていた女子の教育の必要性を考え、伊藤博文、勝海舟らと共に女子教育奨励会を設立。
組織
明治33年(60歳)
開始年月日
1900
説明
大倉喜八郎と大倉商業学校(現:東京経済大学)の設立に協力。
組織
明治34年(61歳)
開始年月日
1901
説明
日本女子大学校(現:日本女子大学)の創立に携わる。
組織
大正8年(79歳)
開始年月日
1919
説明
二松學舍(現:二松學舍大学)の第3代舎長に就任
組織
大正15年(86歳)
開始年月日
1926
説明
2度ノーベル平和賞の候補になる。(1926年と1927年)