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プロフィール

2022/02/09
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フルネーム

ハラユキ

肩書

コミックエッセイスト・イラストレーター

性別
女
現住所
東京都
メールアドレス
sitekawahara@gmail.com
URL
https://suikyo.amebaownd.com/

「むずかしい」を「おもしろい」に。 「モヤモヤ」を「なるほど!」に。

内容

“ほんのり社会派” コミックエッセイスト&イラストレーターのハラユキです。

「人生なるたけ楽しみたいぜ」と思っている道楽人間なので、楽しいことおもしろいことおいしいこと気持ちいいことを発信するのが大好きです。

ただ、人生を楽しむには、まっとうで人権意識のある社会が不可欠なので、そういうことを勉強したり取材執筆することにも積極的でありたいと思っています。

好きな言葉は「自由」。

取材によって、自分自身を縛っていた束縛や思い込みや偏見から開放されて自由になり、さらにそれを可視化してわかりやすい形で広めていくのが、私にとっての仕事の楽しさです。

趣味的な分野でも、社会的な分野でも「自由」を軸に発信していきたいと思っています。
 

ハラユキの最近の活動

ハラユキができるまで

組織

子ども時代のハラユキ

タイトル

(富山→静岡→東京→富山)

説明

昭和は70年代、ゼネコン勤務のサラリーマン家庭の三姉妹の長女として誕生。ハネムーンベイビーだったらしい。父親は建築現場監督で転勤が多かった。母は専業主婦→パート勤務→水泳コーチ。父の実家は代々続く井波彫刻の木彫職人。

母いわく「クリっとした目をしていて本当にかわいくて、どこにいってもかわいいかわいいと言われた。健康だったけど、ケガばかりしていた。2階から落ちて死にかけた」。

組織

学生時代のハラユキ

タイトル

(東京→富山→東京)

説明

マンガと演劇が好きな典型的文化部人間。とにかくラクガキばかりしていた。運動が苦手で内向的で人づきあいがヘタで友達が少なく団体行動が苦手だった。「ガラスの仮面」と「Wの悲劇」に影響を受けすぎたために、ほぼ一人芝居みたいなことをしていて「こいつ大丈夫か」感満載の日々を送る。ついでにテレビで見たデビッド・ボウイに一目惚れして、以後ずっと心酔し続ける。

授業参観を見た父親に「あいつは絵がうまいしか褒められない」と言われ、「絵が描けるだけじゃダメなんだ」と思い込み、美大ではなく日本大学芸術学部演劇学科に進学。脚本を描き、劇場でバイトし、映像サークルに入り、映画や演劇を見まくる。大学にはあまり行かなかった。自分のコミュニケーションのヘタさにこれはこのままじゃ苦労すると思い、訓練も兼ねて接客業のバイトを意識的に選ぶ。子どもの頃から食いしん坊だったので飲食店でもバイトし、お酒についても勉強する。

 

組織

フリーター&会社員時代のハラユキ

タイトル

(東京)

説明

就職活動の本を見るだけで気分悪くなるようなヘタレだったので、卒業後、数年間のフリーター生活を送る。

文章を書く仕事がしたいなと思い、小さな編集プロダクションに就職。その会社は社長が元副牧師で声楽家で、社員はみんな演劇やってたりバンド活動してたりしてた謎の会社で、だからこそ演劇学科だった私も拾ってくれたようだった。一方、社長はかなり優秀なライターでもあったため、「正しくわかりやすい文章を書く」基本も教えてくれた。リサーチの心構えとして言われた「辞書でも疑え」はその後の発信の糧となる。小さい会社だったゆえに、取材、文章、デザイン、イラストとなんでもやらせてもらい、基礎技術を身につける。でもその中でイラストがいちばん褒められる。アホな仲良し貧乏家族みたいな会社員生活。徹夜のときは会社近くの銭湯へ。

その編プロが薄給だったため、週一で個人経営のカフェ&居酒屋でもバイト。故・中山ラビさん(歌手)がオーナーの店だったため、個性的でクセある常連さんたちと濃い時間を過ごす。

最初の会社が経済的にはきつかったので、もう少し大きめの編集プロダクションにデザイナーとして転職。ここでもイラストなどいろんな仕事をするも、やはりイラストをいちばん褒められ、描くイラストサイズがどんどん大きくなる。そこで、バイトでイラストレーターとしての仕事も受け始める。なんとなくの流れで始めたので何も考えず旧姓本名をカタカナにした「カワハラユキコ」をペンネームにする。

組織

イラストレーター&コミックエッセイストのハラユキ

タイトル

(東京→バルセロナ→東京)

説明

2003年、2つめの会社があまり合わなかったので、勢いで退職、20代後半でフリーのイラストレーターとなる。「イラストレーターを目指してる人は大勢いるのに、こんな流れでフリーになったところで食えるわけがないだろう。食えなかったら居酒屋でバイトしよう!」と思っていた。無計画にもほどがある。

でもなってみたら、この職業形態やフリーの孤独が性に合っていて、それにより精神的に安定して、人とのコミュニケーションにもより積極的になる。仕事自体は、手探り&低空飛行&七転八倒ながら、居酒屋でバイトすることなく、その後15年以上フリーランスとして生活できて今に至る。

フリーになった当初は「こんなことになるなら美大に行ってデッサンを学んでおけばよかった!」と後悔するが、後々、回り道をしたおかげで、絵以外の能力が強みになることに気づく。「絵だけ、文章だけ、取材だけ、デザインだけのそれぞれでもっとうまい人は山ほどいる。その各分野に私より夢中になれる人も山ほどいる。でも、いろんなスキルを組み合わせて表現するのは人より得意だし、何よりその何でもありの居酒屋的なやり方が楽しい!」と思うようになる。

初期の頃は、クライアントや媒体や著者の意図を汲んで作風する、裏方職人的なイラストレーター仕事を天職と思って楽しくやっていた。タッチの引き出しが多いことも売りのひとつだった。でもだんだんと、フリーランスとしては「代わりがきく」状態なのはリスクが高いなと思い始める。さらに、「代わりがきく」ポジションゆえか、取引先によってはひどい扱いされることも何度もあり、「人間扱いしてほしい」といちいち傷つき、メソメソする。そこで、仕事に対して(やっと)真剣に考え始め、絵のタッチを絞ったり、やりたいことを考え出す。応援できない商品の広告仕事も精神的にストレスになっていた。

一方、仕事しているうちに、ひとつのテーマを追求していく仕事はとことん熱中しのめりこんでいく自分の性分に気づく。初の著書であるダンス本(フラメンコを習い始めたことでつながった)を依頼されたときは、編集さんが取材に同行してくれなくなるまで体験取材に行き、専門書も読んで「ダンス相関図」なども作成、初心者向けのライトコミックエッセイなのに細かい部分で妙にマニアックな本を作ってしまう。シェイクスピア本読本の挿絵を依頼されたときは原作戯曲を全て読み込み、できるかぎり映画演劇の映像も観た。非効率このうえないが、その過程を通じて、ただ絵を描くだけよりも、そのテーマで自分なりの答えを探していくのが楽しいという探求型の自分の一面に気づく。

その後、建築設計業の会社員の夫と結婚。夫は完璧なる仕事人間だったため共通の友人が「俗世ももっと知ったほうがいい!」と俗世代表として私を紹介され、知り合う。2012年に長男を出産。結婚、出産、育児を通して、社会問題にも興味が湧く。ワンオペ育児体験のコミックエッセイ を描いたことから、「家事育児分担」「夫婦のコミュニケーション」というテーマに取り組み始めいろんな家庭の話を聴き始める。

こうしたいろんな理由から、受動的ではなく、能動的に仕事していこう、自分が仕事したい仕事を自分が組みたい人とやろう、と強く思うようになる。そのために、苦手だった自己アピールや宣伝も積極的にやっていこうと覚悟を少しづつ決めていく。

2017年、ペンネームを「ハラユキ」に変更。ペンネームにすることで、より仕事する自分を客観視して、苦手な宣伝もやりやすくなるのでは、などの狙いがあった。

2017年から夫の仕事でスペイン・バルセロナに2年在住。フラメンコを習ったり新婚旅行がスペインだったりしたのでスペインとの不思議な縁に驚く。とはいえ、慣れない海外生活の中で、仕事のしかたや自分の方向性についてさらに悩む。でもやっぱり仕事がしたいと思い、自分のやりたい方向性や記事を発信していく覚悟が固まる。語学力低いくせに、いろんな人に協力をお願いしつつ、海外取材もスタートする。だんだんと、取材する相手を自分で探し、自分で依頼し、ひとりで取材に行くというスタイルの仕事も増えていく。2018年、東洋経済オンラインアワード・クリエイティブ賞受賞。

2019年帰国。すぐにコロナ禍に。東洋経済オンライン連載ではコロナ世界情勢記事も手がける。

現在、さまざまな媒体で記事の執筆、コミックエッセイの執筆、イラスト作成を担当。家族の取材は特に多い。最近は、銭湯のとなりのシェアスペースと自宅をいったりきたり銭湯に入ったりしながら、ゆるゆると執筆活動を続けている。ちなみに、その銭湯(高円寺の小杉湯)には富山の井波彫刻の木彫の鯉がシンボルマーク的に飾られていて、そこで開催させてもらった出版記念のスペイン祭りには、絵と食と祭りとダンスと銭湯と演劇という今までの自分が好きだったものが偶然全て詰まっていた。「無計画な人生でも、失敗が多くても、とにかく動き続ければ、好きなものはちゃんとつながる」ということを日々体感している今日このごろである。
 

組織

道楽者のハラユキ

タイトル

(食、ダンス、祭り、手ぬぐい、映画、演劇、温泉、銭湯)

説明

数々の道楽趣味があり、計画したわけじゃなかったけど、結果的にそれが仕事につながることもたくさんあった。「無駄なものにこそ花がある」の精神で道楽ごとを愛している。時代に反して、ミニマリストにはなりたくないと思っている。


○映画演劇好き…戯曲を描いてた経験は、いまのコミックエッセイ の構成を作る上で役立っている。

○食いしん坊…ごはん取材やカンタンなレシピ紹介の仕事、スペインのごはん本の出版につながる。

○温泉・銭湯好き…かつては執筆で疲れた腕を癒すために、かつてはワンオペ育児のノイローゼ回避に、ずっと私生活で温泉と銭湯のお世話になってきた。一時期は銭湯愛好の部活動も行い、ブログで温泉銭湯を紹介していた。それにより、銭湯イベント参加、銭湯マンガ(銭湯紹介や浴育マンガ)の執筆仕事につながる。現在は銭湯のとなりにあるシェアスペース(小杉湯となり)を利用しているため、銭湯でイベントを行うなど、公私共に銭湯にお世話になっている。

○手ぬぐい好き…手ぬぐいコレクションが高じて、自分でもオリジナル手ぬぐいを作るようになる。新刊著者を発売やイベント主催の折には、そのイメージに合わせたオリジナル手ぬぐいを制作・販売。

○ダンス・祭り好き…フリーランスになってから、ずっと憧れていたフラメンコを習い、それがあまりにへたくそだったために、ヨガなど他の運動も始める。あいかわらずダンスそのものは全然うまくならいのが惜しいところだが、体を動かすことは好きになり、ダンス本の出版、イベントなどにつながる。

 

今後やりたいこと

内容

◯海外との2拠点生活

◯そのための語学力アップ

◯バレンシアの火祭りを見に行く。郡上徹夜踊りリベンジ。

◯いま追っているテーマをさらに追求。

◯ごはんまわりの人についてのインタビューコミックエッセイ

◯シェア、スマホ中毒、語学勉強、老い、浴育、癒し、宗教や哲学についてのコミックエッセイ。

◯物語を描く。

Special Thanks

内容

ハラユキのキャッチコピー:コピーライター野田真知子
写真に写っている木目:小杉湯となり2階のテーブル
私の経歴に関係するすべてのみなさま
 

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